名 作 R P G を 遊 ぶ (か も) 2

洋ゲーRPGや非電源ゲームを扱った頁でしたが、最近はユルいジャンルになりそうです

Dragon's Dogma: Dark Arisen 一応クリア後の感想

ポリゴンでキャラクターが表現される時代のバルダーズゲートという感じを狙っているのか。前任の覚者が登場する場面で、僕は映画The Matrix Reloadedが強く思い起こされた。この手の理屈は今に始まったことでは無いとは思うけれども、新世紀のムーヴメントとしては、昨今頻繁に利用されているようだ。

Mass Effect 3がまず代表格。Mass Effect 3をプレイしていてMatrixを思い出さなかったのは、コズミックなSFスペクタクルという概念が先行してあったからに他ならない。あのエンディングで唐突に現れる破滅演出も、一発屋の破壊力があった。

反してDragon's Dogmaでは、会話主体でその輪廻の仕組みが説明されるので、ネオがアーキテクトに出会って説明を受けたシーンがそのまま脳内で再生されたわけなのだ。見比べたわけではないが、シーンの意図は非常に似通っていると思う。

最後の取って付けたかのようなヒューマニズムな幕引きは、これまた映画The Hidden(ヒドゥン)を思い起こさせる。カイル・マクラクラン演じる故郷を失った異星人が、息を引き取った警官の肉体に移るというアレだ。

ポーンという個性の薄い非人間と、繰り返し遊ぶゲームという関連を設定的に上手く取り込んで、ドラマ的にも、それなりに説得力のある形に落とし込んだ作品と評価できよう。没ドラマでプレイヤー体験を偏重する洋風RPGにあっては、メッセージ性をより重厚に持ってはいる。近年ではFallout 3にそれがみられた。

だがしかし、ドラマ性が強い場合、RPGとして何十時間も体験してきたプレイヤーが捉える思想感・倫理観・世界観・設定感との乖離も少なくはない。厨二設定と言われそうなネタは、日本発のRPGではよく見られる典型。ガワを洋物にうまくすり替えてあった為、なかなか新鮮な印象を与えてくれはしたが。

難点は開発規模の差ゆえか、後半の展開がこれまで踏破したロケーションをリセットしたものに過ぎないところだ。バルダーズゲートのようにロケーションを次々新たにして、最後に相応しいロケーションまで物語がきちんと導いてくれたなら、もっと素晴らしい冒険譚になったことだろう。

とりわけエヴァーフォールがいかにもコンピュータ的で矮小。街道筋に沿った“経過”をすっ飛ばして、「いきなりボス戦を味わって頂こう、それもランダムで」という趣旨そのままである。経過こそがRPGたらしめる時系列の重要な構成単位なので、それが納期や他の何かの理由で省略されているようでは、名作とは形容しにくい。龍の鼓動を20個という“収集システム”には何の根拠もなくドラマの筋立てにそぐわない。

そうした例を引き合いに出せば、ゲーム上の便宜と、現実味のある段取りとが、まだすっかり整理をされずせめぎ合いをしている。メインクエストが依頼主のところへ報告して完了する一方で、「○○を○体退治しろ」式のクエストは完了がその場で済み、報酬もいきなりインベントリーに現れる。RPGが雰囲気を楽しむものであるなら、便宜は現実的な段取りに整合するようにして頂くと嬉しい。例えば、掲示板を次回見に行ったときに報酬が支払われる、など。

宿屋でスキルが習得できるくせに、宿営地では訓練教官によるチュートリアルがあるなど、現実に照らして考えるとちぐはぐなところがある。便宜であることは痛感できるが、スキル習得は専門のトレーナーから教わるべきだろう。せっかくの訓練教官を最初しか使わないのはもったいない。

「○○を○体退治しろ」式を除けば、本筋に関わるクエストがやや少ない。方々にクエストが振られ、各ロケーションも堪能できはしたが、「救済」側の陰謀を推し量るにはクエストが単純にしすぎたかもしれない。バルダーズゲートのような、ナシュケルで鉄が入手難になり、盗賊が跋扈し、それらが鉄の貿易を独占する為の陰謀だった、といったシナリオ上でよく練られているゆえの驚きは無かった。

結論としてはシナリオが弱く、ボス戦のアクションによるプレイ体験の方がストーリー進行をはるかに上回ってしまっていた。もっとたくさんのボス、もっとたくさんの戦闘に飢えてしまい、エヴァーフォールの画一的なランダム部屋で申し分なくなってしまう。RPGとしては大変に困った状況で、クエストだけから捉えると、エピックとはお世辞にも言えない。駄目押しでクライマックスの輪廻(サイクル)思想が色濃いメッセージを放ち、これでプレイヤー=主人公の冒険が定義づけされてしまうことには違和感が残ることとなる。

本作は喋らない主人公がプレイヤーの化身でもあるわけで、絶対的な完了が必要なドラマは適切ではない(今回だけは“繰り返し”で上手くやり過ごしたが)。それこそ主人公に雄弁に喋らせて、これまでのJRPGっぽいノリで完結させておいた方が、むしろ伝統芸でマッチしていたくらいではないか。

RPGでドラマがどこまで許されるべきかは、RPGが映画や小説と比肩できるかどうか、できるとしたらどういった形式であるべきか、に深く関わる。視聴者や読み手と、ゲームの遊び手との特性は微妙に異なるのだから。遊び手にだけあるはずの主導権が、そのクライマックスで奪われていいとは思わない。
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[ 2013/05/05 04:45 ] ■RPG | TB(-) | CM(0)
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