Baldur's Gate 再び

パッチ4でエンバグしていた、画面端でのポイントクリック時にアイコンが「ワールドマップへ出る」に変化しない問題は、今回のパッチで直っていました。

懐かしいなぁ。この曲を聴くと、寂しい荒野をパーティだけで冒険している気分になってきます。

序盤はやむなく戦力としてツァーとモンタロンを加えましたが、ベレゴストでNeeraを迎え入れたことをきっかけに外れて貰いました。もっとも、ワイルドメイジは使いどころが難しく、マジックミサイルと射撃戦が専らなのですが…。

そのNeeraも主人公が4レベルになると専用クエスト発生。指導を受けられそうな師匠の居場所を知っていると話しかけてきました。Enhanced Editionの新要素ですから期待です。

一方のDornとは二度目の再会でようやく仲間に。Dorn強いゾ。

ミンスクとはウマが合わずにヤってしまいました(あの単細胞、ちょっと馬鹿にしただけでキレてしまうとは…いやはや、忘れてました)。

まぁいいでしょう。Dornがいれば、ミンスク不要。

Baldur's Gateはやはり面白いですね。最初こそサバイバルで必死でしたが、メンツと戦法に慣れて安定してきてからは楽しい。なにかとBGに比して評価を与えられてきた、Neverwinter NightsシリーズやWitcher 1、Drakensangなどを思い出してみても、終始これほどの楽しさではありませんでした。

どこが楽しいのか分析してみますと…

 1.オープンワールド(サンドボックス式)の展開であること
 2.クエストだけでなく戦闘でも相応の経験値稼ぎができること
 3.パーティ制なので、メンツの入れ替えや戦略の練り方などがプレイヤー任せであること

…が挙がるでしょう。

1.の意義は大です。Skyrimをプレイしているのと実質似た印象でもあります(私はSkyrimは楽しくプレイした口です)。

サンドボックスたるワールドマップ中のロケーションをひとつひとつ埋めていく――綺麗にローカルマップを踏破して埋めなくてもかまわない――ことがプレイヤー主導ででき、なおかつアドベンチャー(=物語)としてのメインクエストも展開するという、この両立がとても秀逸です。

フレンドリー・アームズイン以後のメインクエストは、ナシュケルに行くことが求められます。道中では、ナシュケル鉱山の噂と山賊の出没が、このワールド中の大問題であるらしいことが徐々に判明してきます。

当然、ナシュケル鉱山へ行けばメインクエストが進みます。敢えてそうはせずに周辺の山賊を始末していくこと――最終的に山賊の大元を根絶やしにすること――でも、なんと後のバルダーズゲートへ入城する際に『現状として』繋がってきますから、お見事。

Skyrimですら、これほどの巧みさは持ちません。むしろSkyrimはお使い仕立ての小クエストが構成単位であること(それにより全体が形作られているというメカニック)を、無言の内に主張していることになります。ゆえにそれは諸刃の剣であり、ごっこ遊びを堪能してしまった後はマンネリで魅力が薄くなってしまうのです。BGでは、構成単位となる戦闘が大なり小なり物語として牽引する役目を負っており、マップの踏破と達成感もそれに花を添えてくれます。

Skyrimで例えるなら、ただ無目的に潜っただけであるはずのダンジョン(BGではローカルマップに相当)に、濃い背景が用意されていて、それはクエストGiverに因らずとも面白い体験だった、という具合になるでしょうか。

出会う敵を片端から成敗していくだけでRPGとしての楽しさに繋がるという仕組みは、まさに王道です。この仕組みは『仕込み』という手間の掛かる行程に由っています。サービス精神と言ってもいいでしょう。ドリッズトが登場したり、主人公が賞金首になっていたり、先々の旅籠で命を狙われたり、NPCの都合のために利用されかかったり、ヌーバーのようなNPCがいたり…、こうした出来事が主人公ひいてはプレイヤーの物語を彩りのあるものにしてくれます。

これらはプレイヤーが気まぐれで選んだ目的地でことごとく起きるのですから、ノンリニア(一本道)で起きる準備された事件とは、一味も二味も違った感想に繋がってきます。たとえ、一本道アドベンチャーと実質的に仕掛けが変わらないとしても、です。要するに、幻想の紡ぎ方が上手いということになります。

昨今のようにリッチなグラフィックで細部を如何に飾っても、プレイヤーの感じる幻想に制約を設けてしまうようでは、RPGとしては成功したとは言えません。プレイヤーの目に映る部分がプアーであるからといって、必ずしもプレイ体験そのものがプアーであるという実証には成り得ません――BGを久方ぶりにプレイすると、まぁそういういうことを少々乱暴ながら言ってしまえそうな気持ちになりました。似たようなことは以前にも書いた気がします。

ちなみにTroika Gamesの反面教師Temple of Elemental Evilを挙げれば、ToEEはBGに無いシステム面(ターンベース戦闘であることや、より原典のテーブルトークに即したルールであること)が充足しているものの、命題のサンドボックス的要素がごくわずかであったがために、全く異なる感想と相成ってしまうのです。すなわち、プレイ体験に無作為から生じたかのような幻想を抱かせるほどの充実ぶりがなく、一本道アドベンチャーに近い小品で終わってしまいます。

2.と3.に関しては、実際的なプレイにさらに密接に関連します。RPGは主人公らを成長させるゲームなのですから、やることなすことは成長に貢献してくれた方が好都合。用意されたクエストだけでしか成長できないとなると、どうしても窮屈になってしまいます。余談ながら、善行をすると上がるReputationも経験値とは別の指針となり、よりRPGらしさを強めてくれます。

戦闘は比重の大部分です。ならば、戦闘を多彩に楽しめるような戦略性がシステムから窺い知れれば、それだけ楽しみも長く続きます。AD&D第二版はお世辞にもコンピュータRPG向けのルールではありませんが、リアルタイム制(ただし任意にポーズ可能)であることにより、キャラクターの位置取りまでがプレイヤーの裁量に委ねられています。ここはToEEのようなターンベースでは味わえない部分です。

このシステムを逆手にとり、戦場の霧(未踏破の黒い部分)が晴れて露わになった場所にいる敵1体だけを引きつけて、味方が寄って集ってボコボコにする作戦も、プレイヤーに許可された裁量のひとつです。たとえ現実的な観点から不自然であっても。

剣戟や呪文のシステムがもっと現状の仕掛けに即したものであれば、充実感は更に高かったに違いないでしょう。とはいえ、この当時のBGには、AD&Dをコンピュータ上で遊べるようにしたという手堅い功績があります。無名のルールだったら、こうはいかないですよね。

パーティ制でプレイヤーが動かせる登場人物を多数用意することは、しゃぶり尽くせる範囲がそれだけ拡がるということです。これだけ長大なゲームを二回も三回も遊ぶのはなかなか難しいでしょうが、その場その場で登場人物を入れ替えることなら比較的容易です。それをするだけで、また違った戦い方に開眼するでしょうし、登場人物それぞれにまつわるクエストがあることで一層楽しみが深くなり、プレイヤーの幻想はより巧みに形作られるのです。バリエーションの豊富さは、原典のAD&Dがそうであるように、このBGにおいてはしごく必至なことなのですね。
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テーマ : PCゲー
ジャンル : ゲーム

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