名 作 R P G を 遊 ぶ (か も) 2

洋ゲーRPGや非電源ゲームを扱った頁でしたが、最近はユルいジャンルになりそうです

WESTWORLD 第10話までを視ての感想

「モロー博士の島」? でも、綺麗にまとまっていた。

惜しむらくは、キャラクター視点と同調して視聴者も体験しているかのような流れから逸脱して見えてしまったことだ。同じHBO製作のゲーム・オブ・スローンズはその辺(期待の裏切りも含めて)が上手くできていたものなので。5話あたりから、私の望む方向性ではないことに少々がっかりしつつ視ていた。

がっかりの遠因は、これから起きることではなく、過去に起こった出来事をサスペンスタッチで徐々につまびらかにする手法だったせい。謎解きの答え合わせと、広げた風呂敷を収束させる為の理屈とに力が入りすぎちゃったんじゃないか。

連続ドラマならではの小手先のトリックも使われていた。どうにも、私はそこが好きになれなかった。ドロレスとウィリアムの体験は、そもそもレヴェリーによって想起されたドロレスの記憶の断片、のくだり。冒頭から「夢の中にいる」とドロレスは発言しており、その演出からすれば間違いなく終始一貫されていたわけである。さらに、黒服の謎の男は30年(もしくは40年)後のウィリアムだったというオチ。若きウィリアムの冒険行は30年前の逸話で、並行して見せる手法だったのだ。途中であれっと思わせる場面がいくつもあって、伏線らしい素振りはわかった。ただし、やはり小手先なんである。バナードが実はホストだった!衝撃の新事実!もしかり。う~む。そこはやっぱり地に足の付いた人間側のヒューマニティの砦としてバナードを見たかったんだよね。探偵が犯人みたいなコトではなく。人間らしさとホストの根幹の記憶(痛み)と上手く結びつけて導入されてはいたけれども。

結局、キーワードの“メイズ”とはホストの自意識(Consciousness)へ至る道のことだった。頭の中で呼びかけてくるドロレスの内面の声とは、アーノルドつまりは自分自身の声であった。そして、そこから導き出される結論は、非常に現実主義的なもので人間を奮い立たせる言葉と同じ。このシーンはとても好ましく、物語に含めるメッセージとしてもいい。だが、進行上、フォードの操り人形(またもやワイアット人格?シナリオ)でしかないジレンマに陥るわけで。そこからどうなるか、何が待っているのかについては、今シーズンでは描かれなかった。メイヴのその後も含めて。仮に、自らの燃えさかる復讐心に気付いたホストが続々と“神”を殺すのだったとしても、それはフォードの思惑通り。フォードは有能な人形遣いだった。今更神を殺しても何の得にもならない、と発言するホストは一人も居なかった。

自己探求の旅の果てにウエストワールドに意義を見いだしたはずの黒服ウィリアムも、メイズに拘る理由が視聴者には判然としない。とにかく“メイズ”は物語を主導する(むしろミスリードする)キーワードとしてあざとく強引に使われていた感があった。ホスト側の目線であることから、ウィリアムのバックストーリーは園内にいる場面しか描かれておらず、ここも弱い。ウィリアムの妻(ローガンの妹)との夫婦生活や、義理の父親が社を継がせる云々の筋にも、肉付けが欲しかったところである。

要するにウィリアムはドロレスと結ばれたかったわけ(まさに「俺の嫁」を見つけた!状態)だ。にもかかわらず、毎日をほぼ同一に繰り返すだけの自動人形と知った絶望が、彼のすがる“パンドラの箱”を生んだ……ことになる。そして、希望(メイズ→ワイアット→真実の愛)が出てくるのを願って、日々ホストを追い込む生活に…… そういえば、メイヴと娘を殺した時にメイズが現れたと彼は語っていた。それはまさに、娘を思う無償の愛(メイヴにとっては消去の出来ない根幹となる記憶)だ。ウィリアムがドロレスを教会で追い詰めた時、とうとうドロレスは「彼なら来てくれる」と若きウィリアムのことを言うのだが、『年月が彼自身を変えてしまっていた』オチだ。誰かの短篇SFであったなぁ。宇宙を駆けずり回って最愛の女性を蘇らせる材料と技術を手に入れた男が、せっかく蘇らせた女性に、貴方は別人だと言われてしまうヤツ。アレのバリエーションってことだろう。ウエスタンハットが白から黒に変わるのはウィリアムの闇落ちを如実に示唆する巧みな演出だった(ここも分かりやすく小手先なのだが)。ウィリアム自身はフォードに対して「人間を殺せるくらいになって欲しかった」のだと台詞で説明してはいるが。アーノルドの仕込み(レヴェリー)にはフォードの支配をも凌駕する何かがあるはず、との考えは、見かけ上ウィリアムの無い物ねだりだった。

ドロレスはなぜウィリアムを殺せなかったのか? 自意識の為に葛藤が生まれて、かつて愛した人の命を奪うのが忍びなかったのか? 安全装置にまだ完全に抗うことができなかったのか? あのタイミングでフォード博士のシナリオが動き出したのかもしれない。内面の声の主が姿を現した時の見かけが恐ろしく冷酷に見えたことと、フォードを殺しに向かった様子がその人格のようだったこととは関係があるのかもしれない。二分心(bicameral mind)プログラムという翻訳も5話あたりで出てきた。ドロレスには冷血漢と家族思いの二面性があるのかもしれない。

アーノルドが仕込んだレヴェリーでホストは自意識を(多くは精神異常者として)獲得するに至る。のだが、フォードはアーノルドの出来なかったことをやる、とバナードに言った通り、自殺幇助をホストらにさせる。アーノルドがホストの為を思って(過去に)やらせた行為と、あくまで神の自業自得でしかない行為が、その違いか。アンソニー・ホプキンスの演技と台詞は、堂に入っていて見応えがあった。とはいえ、やっぱりなぁ的オチに見える。レクター博士を期待しているのだよ、みんな。だから、いっそのこと突飛な展開を見せてくれさえいれば(実は、この殺されたフォードは替え玉なのでは?)。ロバート少年のくだりは、冷徹だが過去を懐かしむ老人の側面が分かってとても良かったと思うのに。特にイヌのエピソード(競争犬は獲物をどうしてよいか分からない&ロバート少年が可哀相がって犬を殺す)がよくできていた。

ともあれ、映画「ブレードランナー」に掘り下げて欲しかったドラマを視ることが出来た、貴重な作品。フィリックス(東洋系のテクニシャン)が自分ももしかして?と考えるシーンは、デッカードの立場やディックの短篇にあるが如く。Fallout4のSynthとインスティテュートは、実はこうなんだろうな、という完璧なお手本だった。

ところで「SW」の文字はSamuraiWorldなんだろうか、やはり。SOUTHWORLD? ふーん。
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[ 2016/12/28 06:38 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

WESTWORLD

HBOのTVシリーズ「ウエストワールド」。マイケル・クライトンの’73版をひな形に、今日的な要素がふんだんに散りばめられている。

Fallout 4をプレイした人なら、相関を感じるはず。テーマパーク園内の人造人間たちが自分たちの存在に疑問を持ち始め、自意識に目覚めていく様子が描かれているからだ。

もっとダイレクトには、「インスティテュートでの人造人間Synthの製作過程」の様子がそっくりそのままウエストワールドにも出てくる。どちらも、ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図を原典にしていると思われるが、イメージとしては共通であり、尚かつ相補するとドラマがより強固になる。日本人からすれば、「まるで攻殻機動隊の素子のボディが作られる様子じゃないか!」というわけなのだが、ウィトルウィウス的人体図をモチーフとして使うところがミソなのである。なお、「ウエストワールド」プロデューサーのJ・ノーランはビデオゲームの熱烈なファンでこの相似を認めているそうだ。

他にも、断片的なイメージの積み重ねにより重層的なテーマを感じとることが出来る。例えば、目のクローズアップ。映画「未来世界」でも登場したが、映画「ブレードランナー」の冒頭でもお馴染み。目は心の窓。人造人間≒レプリカントである。

Wのマーク。エイリアンシリーズの黒幕として登場する「ウェイランド=湯谷」社のロゴと似ている。前身のウェイランド社は映画「プロメテウス」で登場し、やはり人造人間デイヴィッドが裏切りを行う様を描いた。レプリカントのネクサス6が製造者のタイレル博士に会うシーン同様、社長のウェイランドが、エンジニアと呼ばれる人類のDNAの始祖となる存在に、延命を懇願するシーンがある。

ウエストワールド園内では人造人間は「ホスト」と呼ばれ、1日を指定されたシナリオに沿って過ごす。制御する人間側はこの一日のルーチンを「ループ」と言っている。円環からの脱却こそ真の道だと悟った猟奇犯人が登場したドラマが同じHBOにあった。TRUE DETECTIVEの一作目である。仏教思想の解脱に近い概念が、なにやら持てはやされているようではある。

ブレードランナーと言えば、原作者のフィリップ・K・ディックだが、彼がヴァリス以前に小説で繰り返し使っていたテーマがまさに「ホスト」の世界のようだ。

洋ゲーの話に戻ると、最近読んだWarren Spector氏の基調講演の翻訳記事中に、

「ゲームは,プレイヤーに現実世界ではやろうとも思わないような行動を取らせる機会を与えます。ゲームをプレイしているときは,誰かを見ているのではなく,その誰かになっているからです。自分の行動に選択と結果を与えるという経験をさせてくれるメディアというのはゲーム以外にありません」

というものがあったのだが、ウエストワールドの「ゲスト」たる主人公の振る舞いや、Fallout 4やウィッチャー3を遊ぶ我々の振るまいがまさに言い表されていて興味深い。

造物主と人間と、その人間が作り出した人造物からなる三重構造は、現代アメリカ人にとっては――手垢がついていても――なお、掘り返したくなるテーマであるらしい。

もっとも、そうした括りを使わなくても、今日ではもはやAIを身近に感じることができてしまう。まだまだConsciousnessを持つようなシロモノではあり得ないが、SiriやCortanaやりんな、加えてVRの中に限って現実味をもつような存在に触れさえすれば、架空のホストやスタートレックVoyagerのEMHドクターのようなシロモノを空想することは、ディックが生きていた時よりもずっと簡単になった。
[ 2016/11/04 14:07 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

Star Trek Into Darknessの感想

う~ん。23世紀のTOSシリーズのノリならOKなのかもしれないな。こちとら“24世紀のドラマ”を期待していたので、満足には至らない。活劇としてなら、先を読む暇もなく畳み掛けてくることから、そこそこ面白い。ただし、中盤からは先が読めてしまう(観客に「やっぱり、そうだと思った!」と言って欲しがっている脚本)上に、それ(カークの自己犠牲と、血液による再生のために捕縛するくだり)以上のオチがない。映画的な見せ方は贅沢だったのだけれども、まるでボトルショーのように狭く感じる。

優性人種を出して、クリンゴンとの開戦の危機が……とまでやって、これは一体なんだろう? 破壊からの復興? 過去の遺産からの脱却? (はいはい、カークの成長だよね。分かってはいるんだけど……。あのカークは好きになれない。やんちゃ坊主の話で映画作られると、ちょっとね)

ドラマないしは物語の性質が、こちらの求めるスタートレックらしい(要するにTNGから築かれてきた)理念や人道性の味わいとは異なっていた。マーカス提督はウォーキング・デッド世界のようなサバイバル脳を発揮してしまったわけであるし(いやまぁ、TOSシリーズのエピソードには近いものが確かにあったよね)、ジムとスポックの友情物語は固い(が、焼き直しでは飽きる)。またしてもパイクに諭されるカークの無鉄砲さが、この映画の方向性と一体になってしまっている。

私としては、TOSの若さよりもTNG以来の成熟が欲しかった。旧作『カーンの逆襲』でも、カークが自身の老いを口にだす中、避けられない友人の死が起き、ジェネシスの蘇り(まだスポックの、ではない)を目の当たりにする。TNGを引き合いに出さずとも、旧作にはこういう優れたポイントが存在した。そうした味わいが今回のアクション大作の中ではどうにも乏しい。確かに、リブート版前作のカークが生まれるシーンのように、優性人種の血清のおかげで娘が快復する連邦士官(しかしツケとして巻き込まれてしまう)の姿が描かれてはいる。こうした見せ方は秀逸で深いものを感じとることもできた。が、主人公達が紆余曲折の挙げ句に達成した某かではないのだ。あくまで添え物なのである。リブートのキャロル・マーカスが健気に父の愚行を止めようと身を呈する様は実にドラマチックだが、まだ若すぎて老獪な父親にうわてを取られてしまう。その父親はといえば、娘の見守る中、いとも簡単にカーンの手にかかって絶命してしまう(ピーター・ウェラーはこんな役どころが本当に多い)。あんまりだ。若い(青臭い)、みんな若すぎる。

物語上のネタで言えば、今回のカーンには弱みがない。奥さん(候補)も出てこなければ、部下の死もない。人間味となる、実感的な厚みを伴う要素が出てこなかった。セリフではさんざん言っているし、涙すら流すのだが。冷酷で知能・体力ともに優れた“レプリカント”的なだけであった。もっとも、優性人種というものは元来こうあるべきかもしれないが。

全部が駄目とは言わない。ジム、スポック、マッコイの三者の掛け合いの妙味がたいへんいい。それぞれのキャラクターは立っているし、伏線というかキーとなる構造の前振りもしっかりと観客に伝わる。かつてスポックが言ったものと同じセリフ(船は危機を?)を今度はカークに喋らせる試みも興味深い。スタートレック世界のタブーないしはこれまで破られなかったこと(遅れてワープしてワープ中の船を追撃する)が、またもや破られることもリブートらしい。コンスティテューション級の船が海中にまで降りてきている辺りもリブートならでは。なにせ建造が地球上で行われていたくらいだ。デカさや迫力の関係で、設定上の理屈はともかく、画として都合がいいのだろう。

私は旧来のファンであって、ピカードやジェーンウェイ風のものを好む。だから、この映画のアクション性から滲み出てくるものにスタートレックらしさを感じることは難しかった。むしろスターウォーズ的で、JJ氏はそちらの方が向いていそうだ。例えば、スポックがカーンを追って空飛ぶ交通ユニットの上で殴り合いを演じるくだり。これはIIIのアナキンとオビワンの溶岩川での戦いか、もしくはII冒頭のコルサントでの捕り物にだぶって見えた(目新しさでも、かなり損をしている)。残念なことに、スポックの熱血ぶりに惚れるどころではなかった。

TOSシリーズっぽいノリの活劇というと、スターゲイトSG-1シリーズで満腹になれる。つまり、リブートでお茶を濁されるくらいなら、SG-1のブルーレイでも買った方がいい。つまりはそういう映画であった。
[ 2014/03/13 19:32 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

ウォーキング・デッド一気視聴

第3シーズン

これは難物。刑務所を終の棲家とするくだりは見ていて安堵したり、リックの厳しさに辛さを覚えたり…。ドラマとしての見せ所は、シェーンを巡る物語でほぼやり尽くしてしまったことがありありと分かる。エスカレートする視聴者層に対して制作側が用意する次なる登場人物とは……。作劇上の趣向が凝らされた、いかにも(厚みの不明)なガバナーである。彼がドラマにおけるコアなテーマを果たして提供できるのかどうか。

残念ながら、ウッドベリーとの並行で描かれたせいで、ローリ出産のくだりが、緊張感を欠いてしまうものとなった。重要な意味を担っていた登場人物のローリが、ああも簡単に見捨てられるとは想像だにできなかった。帝王切開をしてからウォーカーに変異してしまうまでの間に、リックが合流するチャンスが皆無ではなかったように見える。まだ死んでいない、と私だったら叫んだろう。

これで「親友、女房、きまじめな夫」という構図が崩壊し、親友とは絶交、細君とは離婚、のような状況である。『ゾンビもの』だが、家庭的な三人を主軸に捉えたドラマだったと私は理解している。そうしてこれからは、二人目の子供(今度は娘)と、片親で育てることになる難しい時期を迎えた息子の成長とを見守るわけだ。リック自身は苦難の末に、もう一度自我を確立する。リーダーとしての在り方に彼らしい結論も出た。その次にはきっと再婚相手が登場するのではないか。そもそも、グレンとマギーの若夫婦に座が奪われつつあるが。

Tドッグ……とうとう目立った活躍をしないまま退場してしまった。いや、彼は手錠の鍵で、奇跡のシュートを決めたことが一番の手柄だった。「残った黒人は俺一人だから立場が危うくなる(次の生け贄だ)」の言葉通りだったか。

フィリップとは一体どういう人間だったのだろう。結末まで見ると、虐殺を行ってしまえるような人間、だった。一国の独裁者に近く、最終的に蜂起した民衆に殺されるような役どころだろうか。彼なりの苦悩(娘)とその壊れ方、ないしは主義の徹底ぶりが、前シーズンまでのシェーンのようには心情的に訴えてこない。それゆえ、7割近くの話数を割いて、アンドレアとの出会いからその有様を積み立ててきたわけなのだが、これが逆にどこまでもフツーの敵(かたき)役に見えてきてしようがない。あのメルルの指を食いちぎる残虐性。冷酷に拳銃を突きつけるイカレっぷり。立ち向かってくる連中を打ち倒すのが面白いのだ、と言わしめたわりには、なんともリアリズムの薄い芝居……。フツーの活劇ドラマになってしまっていて、これまでのウォーキング~らしさとはどこかが決定的に違ってしまったようだ。
[ 2014/02/25 05:59 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

ウォーキング・デッド一気視聴

第2シーズンを視聴

ハイウェイでソフィアが失踪するくだりだけで1話分持たせたのは上手かった。緊張感を保ったまま引きつけてくれたし、神にサインをくれと祈った矢先でのカールが倒れる場面。見事に(いい意味で)はぐらかされた。その後の第2話、第3話に対しては、ややスローペース過ぎると感じた。語られる内容に見合わない時間をかけ過ぎで、丁寧というよりも停滞期に陥っている。シェーンの変貌は、今後の流れを思い返せば確かに重要ではあったが。

活躍のないTドッグの存在感がたいへんまずい。唯一残った黒人であるのに、まるで居ないも同然だ。別のことでも気になった。例えば、10代後半の生意気盛りで無軌道な若者らしい力という描かれ方が、このドラマでは出てこない。そもそも該当する年頃の主要登場人物がおらず、たまに出てきてもまるで脇役扱いで、リックら大人の登場人物ほどの重要性でもっては描かれない。せいぜいグレンのような御しやすいタイプか、さもなければ歯向かってくるチンピラでしかない。これはもう意図的に、12歳の子供を持った世代を主役とした作品なのだ。親友と女房とワーカホリックな亭主の構図なのである。

納屋のくだりはゾンビものでは大抵でてくる逸話で、直前に予見できた。よそ者を寄せ付けないハーシェルが執拗に画面に描かれていたからだ。(Morrowindでのコープラス患者の収容所を思い出した。なぜなら、収容所の所長は、ハーシェルとまさに同じように、ゾンビを症状に冒された者として扱って「患者を傷つけるな」と言うのである)

ゾンビが全て納屋から出てきたはずの場面で、扉ショットをフィックスした“間”で、ソフィアが出てくる前にそれが分かってしまった。あの辺りも秀逸ではあるが、作為性が強く、私の求めるドラマとしての見所とはやや異なった。作劇においてクライマックスではあるけれども。

私見では第2シーズン第11話が、紛れもなくベストエピソードだ。人間のあるべき尊厳・気高さや尊さを今一度問い掛けるデールに対して、他の皆は考えることを敢えて止めてしまい、リックの決断に委ねようとする。きれいごとよりも生き残る手段が優先されつつあり、それには未然に危険を回避することが第一。納屋の一件でシェーンの暴挙が行き過ぎだったとしても、皆の安全を考えると決して間違っているとは言えなかった。シェーンは依然として水面下の問題であるものの、ほとんどの者はそれに気が付かないか見て見ぬ振り。デールとローリ、そしてリックには、表面化しつつある危惧が決して小さなものでないことが予感できている。しかしリックは、これまでがそうであったように、シェーンの主張を飲むしかない。それが皆にとって最善に思えるからだ。デールは、リックのそうした変化に再考を求め、もう一度、集団のあるべき姿を模索するよう提案する。幸か不幸か、リックは集団のリーダーであるよりも、まずカールの父親だった。処刑の瞬間、唐突に入ってきたカールに“Do that”と促されて狼狽してしまう。息子には『正しいこと』を伝えてやりたい。今の自分の行いは息子に誇れる正しいことなのか。

このエピソードには現実にも通用するテーマが上手く扱われている。

・ある集団の決定事項における個人の主張と立場
・親が子供に示してやりたい理想
・過酷な状況下での“人の行い”とは

「ワンマン社長」などともよく言う。パワーのある主導的人物の言うことが何でも正しいように受け止めてしまう心理状態もよく知られている。間違ったことをしているにもかかわらず、集団の在り方を潰さないために、口をつぐむという場合もある。えてして内部にいる者はそれを認識したがらない。身近な例では、学校や職場でのいじめがそうだ。いじめ行為を直接実行する人物というのは、そうは多くないのだが、周囲の者はそれを容認しているかのように口をつぐみ、虐げられた者の味方を表立ってすることはまずない。組織的な隠蔽工作もしかり。隠蔽のような全体的な行為は、見て見ぬ振りをする者が大勢いなければ成功しない。直接荷担する必要などなく、個人という存在感を消すだけで済んでしまうのである。

自分が人間的に未熟だと自覚していても、人の親となってしまう時はある。そうした新米の親でも、人並みに、子には世間的な尺度の理屈を教えたいと願う。子供が成長して、物事の善し悪しが分かるようになると、そうした未熟なことをしている親の振る舞いに、常識を教えられた子供は疑問を覚える。そのとき、子供の疑問に正々堂々と答えることが出来るかどうか。自らを手本として示せるのかどうか。

劇中の世界ほど過酷なら、あるいはもし戦時下のような状況であったら。人命のかかった非常事態に、どれだけ気高くいられるのか。人間らしさをどこまで固持できるのか。こうでありたいとは願っても、状況が許さなかったとしたら。シェーンの真似は意外と簡単かもしれない。それで自分や他人の命が買えるのなら。モンスターを追う者は自分がモンスターにならないように気をつけろ。線路に落ちた酔っ払いを、電車が迫る傍で助け起こそうと飛び込めるか。それがもし酔っ払いでなく、白い杖を突いた盲人だったら? 足がすくんで動けなかったとしても、責めを負ったりはしない。けれども……。

余談ながら、カールが沼地のウォーカーに石をぶつけて嬲る場面で、私はカールの荒み方を描く方向だろうと捉えた。つまり、ホームレス狩りのような悪癖をカールが患ってしまい、ローリやリックと陰でぶつかる構図である。生死を機械的に考える「恐ろしい子供」の演出だと。ここははぐらかされて、処刑のシーンとシェーンを撃つ場面で、やや似た意図が実践されていた。

カールに向き合う時のシェーンは(ローリとの絡みで相手をしないことも一頃あったが、大体の場面において)よい父親だった。ほぼ理想的でもあった。シェーンの忘れがたい一面である。

さて、リックはシェーンとの第12話での対決以降、以前よりも厳しい人間に変貌する。第1シーズンでの感想で、私はリックを善人過ぎると称した。それは制作側の狙いだったわけだ。さらにリックとの対比でしか表現しない手法も定着して、群像劇らしさは――少なくとも群像劇によって滲み出てくる人間ドラマという趣旨は――あまり期待できないことももう分かった。そこがウォーキング~らしさであることも。デールの退場は残念に思う。あんなような人のいい老人――実際にデールほどの口達者であるかどうかは知らないが――は、身近にもけっこう居るからだ。
[ 2014/02/20 04:14 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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