名 作 R P G を 遊 ぶ (か も) 2

洋ゲーRPGや非電源ゲームを扱った頁でしたが、最近はユルいジャンルになりそうです

You schooled us? ~ アホらしさが滲む時

>エイリアン:コヴェナント

…9月15日国内公開予定。激遅。YouTube見てるとネタバレと批評で盛りだくさん。極東の島国だと、なんでこんなに待たされなきゃならんのか。しごくゲンナリ。アホらしい。もうNetflixで配信してくれよ。今の時代、4ヵ月遅れで劇場ロードショーとかまるで意味ないわ。

>Star Trek Bridge Crew(英語版)

国内PlayStationStoreに列んでましたわ。ただし、価格がボッタくり。おま値。北米で49.99ドルなんだぜ。なんで国内だと7,776円に値上がりするの? 為替レートで換算してもまるでおかしいわ! 日本語吹き替えでも付いてるんならともかく。“英語版”って堂々と書かれているくらいだからナ。あーアホらしい。
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[ 2017/06/04 05:53 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

Blade Runner 2049とStar Trek: Discoveryに期待

“ブレラン”の方は、リドリー・スコット監督のインタビューで(例えば『プロメテウス』の頃)話題に上る度に続報が気になっていたシロモノ。話だけでポシャるのじゃないかと危惧していたが、無事完成までこぎ着けたようでなにより。国内では10月27日公開予定。

新生スタートレックTVドラマの方は、カークの時代の10年前でTOS版のタイムライン(リブート版映画のではない)だそうで。Sci-fiドラマの乏しい現代において、オレも含むNerdやGeek達を熱狂させられるかどうかが見物。

ニコラス・メイヤー監督が製作総指揮に関わっており、前作TVシリーズ(ENT)のようなガッカリ感は体験しないで済みそう。

                ◆

ブレランに私が期待するものは、近未来探偵小説な骨太ストーリーとハードボイルドな雰囲気だ。原点カルトとなったブレードランナーではビジュアルこそSFハードボイルドだったが、肝心のストーリーは編集のつぎはぎだらけで辻褄が合わず、出資者の判断による改変要求で終わり方のバージョン違いまで生んでしまうという皮肉で難産な化け物だった。

ファン必携のバイブル『メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット』から、初期脚本とデヴィッド・ピープルズのリライト版とはかなり違うらしいことがうかがい知れる。今回こそは、ディック原作アンドロ羊のエートスが感じられるような主題やシーンが採用されていることを願うばかりだ。

オレに言わせれば、当時、デッカードがレプリカントであるかどうかなんてアイデアはアホらしく感じた(原作小説ではぬかりなくその局面も描かれており、デッカードは同業者のVKテストを受けた上で人間であることが証明されていた)。そんなことにカットを割く(夢のユニコーン)よりも、もっと大事なエートスがあったはずだ。リドリー監督が原作小説を読んでいなかったと聞いた時にも、失望はより大きくなった。

今回のトレーラーを見ると、ハンプトン・ファンチャーの初稿からと思えるようなシーンが散見される。映画プロメテウスでダン・オバノンの初稿からと思しき展開が取り入れられていたように、今回も圧倒的なVFXの力を借りて初稿供養+αとなっていくのであろうか。インフレ状態とも言えるようなCGI全盛の時代では、かつてのオプティカル特撮でのみ為しえた実在ゆえの凄み(タイレル本社ビルのばかでかい模型)は生まれないかもしれない。それでも、骨太なストーリーであれば、秀作として歴史に名を残す余地はまだあるだろう。

                ◆

Star Trek: Discoveryは日本ではNetflixで配信されることが一応決まっているようだ。おそらく字幕付きで北米での配信と大差無く視聴できると思われる。イイ時代になったね。CS加入よりも割安で、その上オンデマンド。

主役のスターシップDiscovery号のデザインがこれまでのセンスとかなり違っており、確かにコレジャナイ感を匂わせる。要は劇中での演出次第。見かけよりも描かれ方こそ大事。描かれ方が丁寧なら、ポンコツ船(愛着を込めた良い意味で)も唯一無二の我らが船になろうというもの。

本国での情報解禁がなされない内は画に描いた餅。いつから放送開始なのか、(秋頃らしいけれども)現段階では不明。

女性副長がナンバーワンと呼ばれ、ジーン・ロッデンベリー夫人メイジェル・バレットが出演したTOSパイロット版を踏襲。一連のディズニー版スターウォーズ作品と同様に、未来は女性の時代らしい。スポックの父親サレクも同時代の天体物理学者として登場。

Starship Shenzhouは、Wikia日本語版ではシンシュウになっていて、おや?と思うがもちろん信州ではない。中国系の船名『神舟』(有人宇宙飛行に自力で成功した3番目の宇宙船)が元ネタ。ドクターの役名がNambueだがもちろん南部ではなく、演じる俳優もインド系アメリカ人。

ところで、VR対応ゲームのStar Trek: Bridge Crew、5月30日が北米での発売日なんですが、きっと国内PSストアでは発売されないんでしょうねぇ。(PC版に限られるでしょうが)IBMのWatsonでNPCブリッジ要員に声でコマンドできるようになるとか。
[ 2017/05/16 21:00 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

WESTWORLD 第10話までを視ての感想

「モロー博士の島」? でも、綺麗にまとまっていた。

惜しむらくは、キャラクター視点と同調して視聴者も体験しているかのような流れから逸脱して見えてしまったことだ。同じHBO製作のゲーム・オブ・スローンズはその辺(期待の裏切りも含めて)が上手くできていたものなので。5話あたりから、私の望む方向性ではないことに少々がっかりしつつ視ていた。

がっかりの遠因は、これから起きることではなく、過去に起こった出来事をサスペンスタッチで徐々につまびらかにする手法だったせい。謎解きの答え合わせと、広げた風呂敷を収束させる為の理屈とに力が入りすぎちゃったんじゃないか。

連続ドラマならではの小手先のトリックも使われていた。どうにも、私はそこが好きになれなかった。ドロレスとウィリアムの体験は、そもそもレヴェリーによって想起されたドロレスの記憶の断片、のくだり。冒頭から「夢の中にいる」とドロレスは発言しており、その演出からすれば間違いなく終始一貫されていたわけである。さらに、黒服の謎の男は30年(もしくは40年)後のウィリアムだったというオチ。若きウィリアムの冒険行は30年前の逸話で、並行して見せる手法だったのだ。途中であれっと思わせる場面がいくつもあって、伏線らしい素振りはわかった。ただし、やはり小手先なんである。バナードが実はホストだった!衝撃の新事実!もしかり。う~む。そこはやっぱり地に足の付いた人間側のヒューマニティの砦としてバナードを見たかったんだよね。探偵が犯人みたいなコトではなく。人間らしさとホストの根幹の記憶(痛み)と上手く結びつけて導入されてはいたけれども。

結局、キーワードの“メイズ”とはホストの自意識(Consciousness)へ至る道のことだった。頭の中で呼びかけてくるドロレスの内面の声とは、アーノルドつまりは自分自身の声であった。そして、そこから導き出される結論は、非常に現実主義的なもので人間を奮い立たせる言葉と同じ。このシーンはとても好ましく、物語に含めるメッセージとしてもいい。だが、進行上、フォードの操り人形(またもやワイアット人格?シナリオ)でしかないジレンマに陥るわけで。そこからどうなるか、何が待っているのかについては、今シーズンでは描かれなかった。メイヴのその後も含めて。仮に、自らの燃えさかる復讐心に気付いたホストが続々と“神”を殺すのだったとしても、それはフォードの思惑通り。フォードは有能な人形遣いだった。今更神を殺しても何の得にもならない、と発言するホストは一人も居なかった。

自己探求の旅の果てにウエストワールドに意義を見いだしたはずの黒服ウィリアムも、メイズに拘る理由が視聴者には判然としない。とにかく“メイズ”は物語を主導する(むしろミスリードする)キーワードとしてあざとく強引に使われていた感があった。ホスト側の目線であることから、ウィリアムのバックストーリーは園内にいる場面しか描かれておらず、ここも弱い。ウィリアムの妻(ローガンの妹)との夫婦生活や、義理の父親が社を継がせる云々の筋にも、肉付けが欲しかったところである。

要するにウィリアムはドロレスと結ばれたかったわけ(まさに「俺の嫁」を見つけた!状態)だ。にもかかわらず、毎日をほぼ同一に繰り返すだけの自動人形と知った絶望が、彼のすがる“パンドラの箱”を生んだ……ことになる。そして、希望(メイズ→ワイアット→真実の愛)が出てくるのを願って、日々ホストを追い込む生活に…… そういえば、メイヴと娘を殺した時にメイズが現れたと彼は語っていた。それはまさに、娘を思う無償の愛(メイヴにとっては消去の出来ない根幹となる記憶)だ。ウィリアムがドロレスを教会で追い詰めた時、とうとうドロレスは「彼なら来てくれる」と若きウィリアムのことを言うのだが、『年月が彼自身を変えてしまっていた』オチだ。誰かの短篇SFであったなぁ。宇宙を駆けずり回って最愛の女性を蘇らせる材料と技術を手に入れた男が、せっかく蘇らせた女性に、貴方は別人だと言われてしまうヤツ。アレのバリエーションってことだろう。ウエスタンハットが白から黒に変わるのはウィリアムの闇落ちを如実に示唆する巧みな演出だった(ここも分かりやすく小手先なのだが)。ウィリアム自身はフォードに対して「人間を殺せるくらいになって欲しかった」のだと台詞で説明してはいるが。アーノルドの仕込み(レヴェリー)にはフォードの支配をも凌駕する何かがあるはず、との考えは、見かけ上ウィリアムの無い物ねだりだった。

ドロレスはなぜウィリアムを殺せなかったのか? 自意識の為に葛藤が生まれて、かつて愛した人の命を奪うのが忍びなかったのか? 安全装置にまだ完全に抗うことができなかったのか? あのタイミングでフォード博士のシナリオが動き出したのかもしれない。内面の声の主が姿を現した時の見かけが恐ろしく冷酷に見えたことと、フォードを殺しに向かった様子がその人格のようだったこととは関係があるのかもしれない。二分心(bicameral mind)プログラムという翻訳も5話あたりで出てきた。ドロレスには冷血漢と家族思いの二面性があるのかもしれない。

アーノルドが仕込んだレヴェリーでホストは自意識を(多くは精神異常者として)獲得するに至る。のだが、フォードはアーノルドの出来なかったことをやる、とバナードに言った通り、自殺幇助をホストらにさせる。アーノルドがホストの為を思って(過去に)やらせた行為と、あくまで神の自業自得でしかない行為が、その違いか。アンソニー・ホプキンスの演技と台詞は、堂に入っていて見応えがあった。とはいえ、やっぱりなぁ的オチに見える。レクター博士を期待しているのだよ、みんな。だから、いっそのこと突飛な展開を見せてくれさえいれば(実は、この殺されたフォードは替え玉なのでは?)。ロバート少年のくだりは、冷徹だが過去を懐かしむ老人の側面が分かってとても良かったと思うのに。特にイヌのエピソード(競争犬は獲物をどうしてよいか分からない&ロバート少年が可哀相がって犬を殺す)がよくできていた。

ともあれ、映画「ブレードランナー」に掘り下げて欲しかったドラマを視ることが出来た、貴重な作品。フィリックス(東洋系のテクニシャン)が自分ももしかして?と考えるシーンは、デッカードの立場やディックの短篇にあるが如く。Fallout4のSynthとインスティテュートは、実はこうなんだろうな、という完璧なお手本だった。

ところで「SW」の文字はSamuraiWorldなんだろうか、やはり。SOUTHWORLD? ふーん。
[ 2016/12/28 06:38 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

WESTWORLD

HBOのTVシリーズ「ウエストワールド」。マイケル・クライトンの’73版をひな形に、今日的な要素がふんだんに散りばめられている。

Fallout 4をプレイした人なら、相関を感じるはず。テーマパーク園内の人造人間たちが自分たちの存在に疑問を持ち始め、自意識に目覚めていく様子が描かれているからだ。

もっとダイレクトには、「インスティテュートでの人造人間Synthの製作過程」の様子がそっくりそのままウエストワールドにも出てくる。どちらも、ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図を原典にしていると思われるが、イメージとしては共通であり、尚かつ相補するとドラマがより強固になる。日本人からすれば、「まるで攻殻機動隊の素子のボディが作られる様子じゃないか!」というわけなのだが、ウィトルウィウス的人体図をモチーフとして使うところがミソなのである。なお、「ウエストワールド」プロデューサーのJ・ノーランはビデオゲームの熱烈なファンでこの相似を認めているそうだ。

他にも、断片的なイメージの積み重ねにより重層的なテーマを感じとることが出来る。例えば、目のクローズアップ。映画「未来世界」でも登場したが、映画「ブレードランナー」の冒頭でもお馴染み。目は心の窓。人造人間≒レプリカントである。

Wのマーク。エイリアンシリーズの黒幕として登場する「ウェイランド=湯谷」社のロゴと似ている。前身のウェイランド社は映画「プロメテウス」で登場し、やはり人造人間デイヴィッドが裏切りを行う様を描いた。レプリカントのネクサス6が製造者のタイレル博士に会うシーン同様、社長のウェイランドが、エンジニアと呼ばれる人類のDNAの始祖となる存在に、延命を懇願するシーンがある。

ウエストワールド園内では人造人間は「ホスト」と呼ばれ、1日を指定されたシナリオに沿って過ごす。制御する人間側はこの一日のルーチンを「ループ」と言っている。円環からの脱却こそ真の道だと悟った猟奇犯人が登場したドラマが同じHBOにあった。TRUE DETECTIVEの一作目である。仏教思想の解脱に近い概念が、なにやら持てはやされているようではある。

ブレードランナーと言えば、原作者のフィリップ・K・ディックだが、彼がヴァリス以前に小説で繰り返し使っていたテーマがまさに「ホスト」の世界のようだ。

洋ゲーの話に戻ると、最近読んだWarren Spector氏の基調講演の翻訳記事中に、

「ゲームは,プレイヤーに現実世界ではやろうとも思わないような行動を取らせる機会を与えます。ゲームをプレイしているときは,誰かを見ているのではなく,その誰かになっているからです。自分の行動に選択と結果を与えるという経験をさせてくれるメディアというのはゲーム以外にありません」

というものがあったのだが、ウエストワールドの「ゲスト」たる主人公の振る舞いや、Fallout 4やウィッチャー3を遊ぶ我々の振るまいがまさに言い表されていて興味深い。

造物主と人間と、その人間が作り出した人造物からなる三重構造は、現代アメリカ人にとっては――手垢がついていても――なお、掘り返したくなるテーマであるらしい。

もっとも、そうした括りを使わなくても、今日ではもはやAIを身近に感じることができてしまう。まだまだConsciousnessを持つようなシロモノではあり得ないが、SiriやCortanaやりんな、加えてVRの中に限って現実味をもつような存在に触れさえすれば、架空のホストやスタートレックVoyagerのEMHドクターのようなシロモノを空想することは、ディックが生きていた時よりもずっと簡単になった。
[ 2016/11/04 14:07 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

Star Trek Into Darknessの感想

う~ん。23世紀のTOSシリーズのノリならOKなのかもしれないな。こちとら“24世紀のドラマ”を期待していたので、満足には至らない。活劇としてなら、先を読む暇もなく畳み掛けてくることから、そこそこ面白い。ただし、中盤からは先が読めてしまう(観客に「やっぱり、そうだと思った!」と言って欲しがっている脚本)上に、それ(カークの自己犠牲と、血液による再生のために捕縛するくだり)以上のオチがない。映画的な見せ方は贅沢だったのだけれども、まるでボトルショーのように狭く感じる。

優性人種を出して、クリンゴンとの開戦の危機が……とまでやって、これは一体なんだろう? 破壊からの復興? 過去の遺産からの脱却? (はいはい、カークの成長だよね。分かってはいるんだけど……。あのカークは好きになれない。やんちゃ坊主の話で映画作られると、ちょっとね)

ドラマないしは物語の性質が、こちらの求めるスタートレックらしい(要するにTNGから築かれてきた)理念や人道性の味わいとは異なっていた。マーカス提督はウォーキング・デッド世界のようなサバイバル脳を発揮してしまったわけであるし(いやまぁ、TOSシリーズのエピソードには近いものが確かにあったよね)、ジムとスポックの友情物語は固い(が、焼き直しでは飽きる)。またしてもパイクに諭されるカークの無鉄砲さが、この映画の方向性と一体になってしまっている。

私としては、TOSの若さよりもTNG以来の成熟が欲しかった。旧作『カーンの逆襲』でも、カークが自身の老いを口にだす中、避けられない友人の死が起き、ジェネシスの蘇り(まだスポックの、ではない)を目の当たりにする。TNGを引き合いに出さずとも、旧作にはこういう優れたポイントが存在した。そうした味わいが今回のアクション大作の中ではどうにも乏しい。確かに、リブート版前作のカークが生まれるシーンのように、優性人種の血清のおかげで娘が快復する連邦士官(しかしツケとして巻き込まれてしまう)の姿が描かれてはいる。こうした見せ方は秀逸で深いものを感じとることもできた。が、主人公達が紆余曲折の挙げ句に達成した某かではないのだ。あくまで添え物なのである。リブートのキャロル・マーカスが健気に父の愚行を止めようと身を呈する様は実にドラマチックだが、まだ若すぎて老獪な父親にうわてを取られてしまう。その父親はといえば、娘の見守る中、いとも簡単にカーンの手にかかって絶命してしまう(ピーター・ウェラーはこんな役どころが本当に多い)。あんまりだ。若い(青臭い)、みんな若すぎる。

物語上のネタで言えば、今回のカーンには弱みがない。奥さん(候補)も出てこなければ、部下の死もない。人間味となる、実感的な厚みを伴う要素が出てこなかった。セリフではさんざん言っているし、涙すら流すのだが。冷酷で知能・体力ともに優れた“レプリカント”的なだけであった。もっとも、優性人種というものは元来こうあるべきかもしれないが。

全部が駄目とは言わない。ジム、スポック、マッコイの三者の掛け合いの妙味がたいへんいい。それぞれのキャラクターは立っているし、伏線というかキーとなる構造の前振りもしっかりと観客に伝わる。かつてスポックが言ったものと同じセリフ(船は危機を?)を今度はカークに喋らせる試みも興味深い。スタートレック世界のタブーないしはこれまで破られなかったこと(遅れてワープしてワープ中の船を追撃する)が、またもや破られることもリブートらしい。コンスティテューション級の船が海中にまで降りてきている辺りもリブートならでは。なにせ建造が地球上で行われていたくらいだ。デカさや迫力の関係で、設定上の理屈はともかく、画として都合がいいのだろう。

私は旧来のファンであって、ピカードやジェーンウェイ風のものを好む。だから、この映画のアクション性から滲み出てくるものにスタートレックらしさを感じることは難しかった。むしろスターウォーズ的で、JJ氏はそちらの方が向いていそうだ。例えば、スポックがカーンを追って空飛ぶ交通ユニットの上で殴り合いを演じるくだり。これはIIIのアナキンとオビワンの溶岩川での戦いか、もしくはII冒頭のコルサントでの捕り物にだぶって見えた(目新しさでも、かなり損をしている)。残念なことに、スポックの熱血ぶりに惚れるどころではなかった。

TOSシリーズっぽいノリの活劇というと、スターゲイトSG-1シリーズで満腹になれる。つまり、リブートでお茶を濁されるくらいなら、SG-1のブルーレイでも買った方がいい。つまりはそういう映画であった。
[ 2014/03/13 19:32 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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